飲み屋の人生の物語

6年前行きつけだった飲み屋があった。ホッピーとホルモン焼きの美味い店で、カウンター奥がおれの定位置。トイレがすぐとなりにあったせいか、結構空いてる席だった。
その日はおれの左側、一席はさんで25歳くらいの男と60歳くらいの男が座っていた。年齢差のわりにタメ口だったので何か不思議な感じ。60歳くらいの男が話しているのが聞こえてくる。
「森で迷ったことはあるか?」
「いいや」
「本で読んだことぐらいはあるだろう?森で迷うと何度もおなじところをぐるぐるまわってしまう」
「ああそれか。知ってるよ」
「人生もそうだ。とにかく前へ前へ進もうとして手探りでさまよい、気付くといつか見たことがある場所に立っている。繰り返し繰り返し同じ場所にたどり着き、最後には死ぬ。この年になるとわかる。人生も同じだ」
「なるほどね。あんたがそういうならそうかもしれないな」
「確実にそうだ」
「あんたがいうように同じ場所に戻ってしまうのだとしても」
「ああ」
「そこには何か変化があるんじゃないか?一度通っただけでは気付かない変化がある。下生えに花が咲いているのを見つけるような」
「下生えに花など咲かんよ。いいところ苔だ」
「だが変化はあったんだろう?その変化に気付けたなら同じところをぐるぐる回った価値はあるんじゃないのか?」
「・・・そうだな。そうかもしれないな」
若い方の台詞になんとなくにやにやさせられていると、マスターが焼き物の皿をおれとその二人組みに差し出し、二人組みに向って口を開く。
「ホルモンにもいろいろありましてね。微妙な違いですけど、同じ部位でも端のほうが美味いという人もいれば真ん中あたりが美味いという人もいる」
おれと二人組みがほぼ同時に串に手をつける。
「お客さんの顔見て決めることもあるけど、たいていは以前そのお客さんにはどこを出したかで決めてるんです。以前とは違う部分を出すようにしてます。微妙な違いかもしれないけれど以前とは違う部分」
毎日来てるのにぜんぜん気付かなかった。そんなことを思っていると若い方が口を開く。
「じゃあマスターは人生を食わせてくれてるんだね。ホルモンが変化に富んでいること、そして人生が変化に富んでいることを味わわせてくれてるんだ」
「そんなだいそれたもんじゃないですがね。ただお二人のお話を聞いてて似てるなと思いまして」
「まあいいや。マスターの言うとおりだよ。毎日同じことしてるからこそ変化に気付ける。何度も同じ場所に立つから違いを見つけられる。だから人生は面白いんじゃないか?親父」
父親にタメ口かよなんてこと思いながら、ちょっといい気分になる。ホッピーをもう一杯。マスターもいい気分になっているのがわかった。あの人は気分がのると料理の盛りが多くなる。(id:nekoprotocol)