飲むほどに ハニフェス勢う 夜酒かな

という思いつき川柳を実践すべくグビグビとチューハイを呑んでたらトローンとしてきた。この酩酊は危険だがしかし何か素面ではたどり着けない綱渡りのような絶妙で優雅な文章を生み出させてくれる酒の神バッカスのギフトなのではないだろうか。そうかならば、酒の力を得た今こそ論理も倫理も吹き飛ばし、普段はしない歯に衣着せぬ物言いで世相を斬り刻んでみようか。歯にフェス着せぬ物言いで世界をこっぱ微塵にしてみせようか。
それはいいが、その駄洒落に登場している歯に着せるフェスとはいったいなんなのか。フェスとはいったいなんなのか。
……ああやばいなんてこった、予期せずFESが何の略かというボケが求められる展開になってきてしまった。しかも歯に着せる物という厄介な条件まで付いている。おれとしたことが道を誤ったか。現実との絶妙なズレが求められるタイプの細かいボケなど酩酊状態の素人にできるはずがない。こんなのはプロのスナイパーレベルの仕事だ。今おれが下手を撃っては数ヶ月前から企画されてきた今日の晴れ舞台が台無しだ。
者ども、ここは一旦引くぞ! 世相を切り刻もうかのところからやり直しだ!
ドガピシャ! なんだと、背後でシャッターが閉まりやがった。……前に進むしかないということか。やり直すことなどできない人生のメタファー、それがハニフェスというわけか! おもしろい。おもしろいぞ。ならば仕方ない。やってやる。フェスは、FESはなあ、……いや待て、まだだ。後ろでシャッターが閉まったからといってすぐさま前に進む必要はない。立ち止まって考えるんだ。時間はまだある。ハニフェスが終わるまでに思いつけばいい。ゆっくり時間をかければいい。気ままなスローライフを送ればいい。気ままなスローライフゲームであるどうぶつの森のCMに出演している上野樹里を想像して落ち着けばいい。
さて、信仰があればそこに神はいるという。ならば、おれが今ヨスガとしている上野樹里もまた神なのではないか。あの優しげな微笑はまさに神と呼ぶに相応しいではないか。
ああ、樹里様、歯に着せるフェスとはなんなのですか。愚かなわたしにはわからないのです。みなが笑い、納得し、世界に平和をもたらす、FESと略される言葉とはなんなのですか。
ふぉ、ふぉ、ふぉ、フェスの答えとな? そんなものはのう、ないのじゃよ。神になど頼らず、自分の手で平和を手にするのじゃよ。
ない! ないのですか樹里様。むしろ、ないのフェスか樹里様。
そうじゃよ。ないのです。むしろ、ないのフェス。

<バッドエンド>

……やった、やったぞ、抜け出した。こうやってバッドエンドの袋小路にたどり着くことでフェスの魔の手から逃れられた。これでおれはフェスでボケずに済む。鎖はほどかれた。枷は外された。これでやっと本当にハニフェスをスタートできるんだ。止まっていた時間が動き出す。たとえバッドエンドであっても、終わりは新しいスタートなんだ。
そのとき、東の空から射す光がおれの頬を照らした。おれは光のほうへ顔を向け、昇りゆく朝日に自分を重ねる。おはようみんな、今日はきっといい日になるぜ。へへっ。